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しびれるキャバレー(中野隆義)

現役時代は薪割り流・薪割りの大五郎の異名をとりA級八段まで登り詰めた佐藤大五郎九段の思い出といいますと、まず思い出されるのは、第六期王位戦の挑戦者になったときに、主催新聞社に対して「七番勝負の対局に向かう際に社旗を付けた車で自宅まで迎えに来て欲しい」と要求したり、昭和五十年代の半ばころでしたか当時池袋などの盛り場で大盛況を博していた日の丸キャバレーの広告を取ってきて「これを将棋世界誌や近代将棋誌に載せてくれないか」と言ってきたりしたことです。


当時は私めも若かったものですから、王位戦の件ではなんとわがままなことを言う棋士だと思ったり、日の丸キャバレーの件では内心いいぞいいぞとは思いつつも、お堅い将棋雑誌にキャバレーの広告を載せてくれとはちょっと常識はずれなんじゃあないかと思ったりしたものでしたが、将棋の業界に長く居て棋士たちの生態というのもがある程度分かる今では、いづれも当時受けた印象とは違って人間の優しさが感じられる思い出話として私の心に収まっています。


棋士の稼ぎ場は対局で、その対局をものにするためには不断の研究や鍛錬が不可欠です。棋士にとって対局が大切なのはまちろんとして、その対局に備えることもまた大切なわけですが、この対局に備える行為というのが、一般の人から見ると盤を前にして座ったままじっと考え小さな駒をちょいちょいと動かすだけですから凡そ一所懸命に働いている風には見えません。頭を休めるために外を散歩すれば、昼間っから何もせずにぶらぶらしていると見られてしまいます。


こうしたものを一気にまとめて見返し払拭するのが、大新聞社の社旗を立てた車を自宅玄関前に迎えに来させる、という薪割り流の一手だったのでありましょう。大五郎流は、新聞社の車が着いたときにはとっくに身支度を整えていたのに、わざとすぐには出て行かず、ご近所の皆さんが黒塗りの立派な乗用車に目を丸くしているのを見届けてから姿を現したのでした。


日の丸キャバレーの広告は、確かお店の入り口に詰将棋が出題されているからこれを解いたら料金無料! という触れ込みでしたか。将棋の腕に覚えのあるお客さんを大優遇しましょうというもので、普及の観点からもまっこと素晴らしい広告でしたですね。当時近代将棋社長の永井英明さんは「うーん、これ載せて欲しいと大五郎流から頭を下げられちゃったんだけど、どこに載せよう・・」と、しびれていましたが。


この広告料の集金の段になりまして、日の丸からは池袋のお店に集金に来てくれれば即刻現金で支払うと連絡がありました。永井社長は誰に集金に行かせようかと長考に沈んだ挙句、歳かさのいっている者から「どう、行ってくれる?」と聞きいていきますが、誰もが「いやーっ、勘弁してください」と言ってしり込みするばかりです。とうとう一番年下の私めにお鉢が回ってまいりまして、私めは「いやーっ、困ったなあ・・。でも皆さんが行かないのであれば仕方ありません」と、弱り切った顔をしながら永井社長から広告料金の領収書を受け取り、内心うきうきとして池袋に出かけて行きました。出かけ際、永井社長が編集部の扉の前まで来て「無事にお金を受け取ったら今日はそのまま家に帰っていいけど、すぐ店を出てね」と言ったのが今もはっきりと思い出されます。


さて、お店に着くと指示されていたように裏口に回って事務所のドアを開きました。時刻は夕方の六時ちょい過ぎだったのですがお店の方からはブンチャカブンチャカと大賑わいの様子が伝わってきます。おトイレを借りに狭い廊下を行きますと着替えを済ませたホステスさんが急ぎ足で横をすり抜けて行きました。えらくいい匂いがしましたですね。


十分ほど待っていますと、黒の背広をビシッと着こなした男性が現れて「広告の料金です。お納めください」と言ってお金をテーブルの上に差し出しました。その柔らかな物腰の内に秘められたなんとも言えない気配に気おされた私めは「あ、はい。確かにいただきました」と領収書を渡し「あ、ありがとうございました。では、これで失礼いたします」と言うや、逃げるように事務所を飛び出したのでありました。


飛び出したときは、まっすぐ家に帰るつもりだったものの、表通りに出て落ち着いてみると、本心がたちまち頭をもたげてきて、このまま帰るのはなんだか勿体無いなと思うところが私めの浅はかなところでして、そうそう、表の入り口の詰将棋を解いてしまえばタダなんだから問題ないよなー、よしいっちょやってみるか、と勇んでお店の入り口へと向かったのでした。


ところが、人通りの激しい通りに立ち止まってウームと腰を落ち着けて考えるというのは途方もなく勇気がいることで、詰将棋が思っていたより難しかったことと相まって、五分ほど睨み付けていた努力も空しく踵を返すことになったのであります。このときほど、詰将棋が苦手であることを悔やんだことはありません。

author:なかの, category:その他, 00:00
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Comment
日の丸、懐かしい名前を聞きましたねえ。
懐かしさに涙が出てきそうです、まだあるんでしょうか?
オジサン, 2010/12/31 9:06 AM
 ☆オジサン
こんばんは。実家に帰省していたもので反応が遅れました。失礼しました。

今ちょいと検索してみましたが、二年くらい前までは確実にあったみたいですが、その後の情報が出てきませんでした。これはぜひオジサン自ら行ってご確認なさってはいかがでしょうか。
はくた, 2011/01/04 10:06 PM
こんばんは。私も懐かしい処です。
数年前に閉店したようですが、50年代がピークだったのでしょうか?平成に入って遊びに行ったら、中華ネエカンが接客して、雰囲気が最悪でした。それ以来足が遠のきました。
ぼくたさん、お店に入らなかったのは残念でしたね!w
時期にも寄ったのですが、営業停止を食らったほど過激な時代がありました。まさに「キャバレー日記」そのものでしたw
今は懐かしい思い出です。山手線電車の月代わり広告も・・
kelly, 2012/12/02 11:26 PM
 ☆kellyさん
ああ、やはり閉店していたのですね。お知らせ下さりありがとうございます。山手線に出していた月替わり広告、ちょっと見てみたい気がします。
はくた, 2012/12/03 8:48 PM
先ほど確認してみましたら、平成21年3月の日付で、「お客様各位」閉店の張り紙が、入り口シャッターに張り紙が張られていました。筆による手書きで、オーナーの心意気が感じられます。
月替わり広告は、社交嬢がドレスアップし、「しびれるキャバレー」と印刷された、一見これは何?って感じの広告でした。当時大塚駅から、毎朝乗る電車の入り口付近に貼ってあったので、如何しても気になり遊びに行ってしまいましたw 散在しましたが、良い思い出でもあります。
そういえば、事務所のある裏口は、丸井寄りの通用口だった思います。
kelly, 2012/12/06 10:54 PM
 ☆kellyさん
確認が送れて申し訳ありません。コメントありがとうございます。手書きの張り紙はたまに見かけますが、いいですよね。私も一度くらいは行ってみたかったなあ。
はくた, 2012/12/10 9:32 PM









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